こんにちは、やすひらです。
先日行われた、宮迫さんと田村亮さんの謝罪会見で吉本興業への不信感や闇とも言える部分がどんどん明らかになりつつあります。

特に岡本社長のパワハラともいえる言動が注目を集めていますが、吉本興業には岡本社長の他にもう1人、権力を持った人がいます。
それが、吉本興業の前社長の「大崎洋会長」です。
その大崎会長にも注目が集まっていますので、今回大崎会長の経歴や年収、ダウンタウンとの関係についても調べていきます。
ということで今回は「大崎会長(吉本興業)の経歴や年収と顔画像は?ダウンタウンとの関係も」というテーマで書いていこうと思います。

大崎会長のプロフィール
では早速、大崎会長のプロフィールについてご紹介します。

・名前:大﨑洋(おおさき・ひろし)
・生年月日:1953年7月28日
・年齢:66歳(2019年7月現在)
・出身地:大阪府堺市
・職業:プロデューサー
・役職:吉本興業ホールディングス株式会社会長
・大学:関西大学
・高校:大坂府立泉北高校
大崎会長は、大学卒業後に吉本興業に入社しました。
入社した理由は、当時サーファーをしていたこともあり「私服OK」という会社だったからだそうです。
そのため、入社当初はあまりやる気がなく、適当に仕事をしていたそうです。
しかし、ある日を境に仕事への態度が一変したそうです。
そのきっかけは、会社の同僚と徹夜で麻雀をしていたときでした。
朝までずっと麻雀をしていたのですが、終始一人負け続けた大崎会長。
するといきなり立ち上がって、窓を開け「絶対に出世する!」と大声で叫んだんだそうです。
そして、その日を皮切りに真面目に熱心に仕事に取り組むようになり、社長という地位に就いたようです。
ではここで、大崎会長の主な経歴についてご紹介します。
大崎会長の経歴
大崎会長は、社長職についてから約10年に渡って代表取締社長として活動していました。
そして、現在では会長としての地位についています。
一体、大崎会長の年収はいくらなのでしょうか?
大崎会長の年収は?
大崎会長の年収について調べていきます。
まず、現在吉本興業の社長である岡本社長の年収が7億という情報がありました。
これが真実かどうかわかりませんが、おそらく数億は稼いでいるでしょう。
また、大崎会長は吉本芸人さんの給料は「1万円~10億円」と語っています。
それに、吉本興業はタレントとのギャラ配分が、「タレント・会社:1・9」と言われていますね。
なので、大崎会長の年収は軽く5億は超えているのではないでしょうか。
もしかしたら10億以上もらっている可能性もあると思います。
ただ、高額納税者リストには載っていないようなので、数十億、数百億ということはないと思います。
ダウンタウンとの関係は?
続いて、大崎会長とダウンタウントンとの関係について調べていきます。
大崎会長は、吉本興業の社員の中でも特に、ダウンタウンとの関係が強い人物であります。
大崎洋会長は、ダウンタウンの才能にいち早く気づいた存在として知られています。
大崎会長は、当時無名だったダウンタウンの2人の担当社員となり、ダウンタウンにこのお笑い業界のイロハを教えたそうです。
当時は仕事がなく、暇を持て余していた松本さんを銭湯に連れていったりもしていたそうです。
そしてまもなく、ダウンタウンが大阪で頂点にまで上り詰め、東京進出させたのも大崎会長でした。
ダウンタウンが大阪で頂点に立ちほどの活躍、そして東京進出し全国的な人気を獲得、これを指導した存在として大崎会長も一躍有名になったそうです。
このように大崎会長と松本さんとの関係は非常に強いようで、仕事関係以上の関係であることは間違いないです。
また、こんなエピソードもあるそうです↓
大崎会長が30歳、松本さんが20歳ころのことです。
お互いに仕事がなく、2人でスポーツジムにいたとき、大崎会長が25mプールで松本さんにこんなことを言いました。
松本さんも「いいですけど」と承諾したそうです。
そして大崎会長は見事息継ぎなしで泳ぎ切りました。
その後2人は、お笑い芸人として、プロデューサーとして大成しました。
そんなある時、詳しくは明らかになっていませんが、松本さんが頑なに了承しない出来事があったそうです。
その時、大崎会長が
「あのときのプールの約束、今使うわ」
と言い、松本さんも「こんなときにですか…わかりました」と苦笑しながら了承したそうです。
とても気になるエピソードですが、一体どんな話だったのでしょうか。
いつか明かされることを願います(笑)



まとめ
今回は「大崎会長(吉本興業)の経歴や年収と顔画像は?ダウンタウンとの関係も」というテーマでまとめていきましたが、いかがでしたでしょうか?
大崎会長が芸能界でとても偉大な人だということが分かったと思います。
あの笑いの神様のようなダウンタウン松本人志を育て親のように育てた存在として、これからも語り継がれると思います。
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。